2014年3月21日金曜日

轟音ノイズと浮遊感、シューゲイザー系のバンドまとめ


シューゲイザー(Shoegazing)は80年代末にイギリスで誕生し、90年代初頭にかけて興った小さなムーブメント。

深いディストーションとノイズを掛けた轟音ギターに、甘美なメロディをのせた浮遊感のあるサウンドが特徴。

シューゲイザーの代表的なバンドといったら、My Bloody Valentine(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)。他はRide(ライド)、Slowdive(スロウダイヴ)が有名です。

こういったバンドが演奏をするときに、ギタリストが足元のエフェクターから視線を上げないことから、靴(Shoe)を凝視(Gaze)するという意味でシューゲイザーと呼ばれるようになりました。

【シューゲイザーの盛衰】

1988年11月、My Bloody Valentineが1stアルバム『Isn't Anything』をリリース。UKチャート最高位61位を記録。このバンドに影響を受けたフォロワーバンドが続々とデビューする。シューゲイザーというムーブメントが形成され、90年に一気に開花、91年に最高潮を迎える。

1991年9月、Nirvanaが『Nevermind』をリリースするとアメリカではグランジブームに。すぐにイギリスにも広まり、ロックの主流はハードでヘヴィなサウンドへと変化。

1991年11月、My Bloody Valentineがリリースした2ndアルバム『Loveless』はブライアン・イーノをはじめ、音楽関係者から絶賛されヒット作となったが、UKチャート最高位24位に留まった。

1994年から始まったブリットポップの流行によって、シューゲイザーは完全な終焉を迎えた。


My Bloody Valentine(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)

 
シューゲイザー=マイブラと言ってもいいくらい、シューゲイザーの代表格。

ケヴィン・シールズ(ヴォーカル、ギター)を中心にアイルランド首都ダブリンで結成された4人組バンド。

1988年、The Jesus and Mary ChainやPrimal Screamを世に送り出したクリエイション・レコーズの若きオーナー、アラン・マッギーが自身のバンドの前座を務めたMy Bloody Valentineをみて「おい!イギリスのハスカー・ドゥを発見したぞ!」と叫び、その場で契約。

この頃、公私ともにパートナーとなっていたビリンダ(ヴォーカル、ギター)から、ダイナソーJr.の存在を教えられたケヴィンは、そうした影響を積極的に取り入れていく。

そんな中で生み出されたのが「トレモロアーム」と呼ばれる奏法。

ギターのトレモロ・バーを掴んだままの状態でコードを弾き"変調"させることによって生み出されたサイケデリックなサウンドは"リヴァースリヴァーブ"という逆回転サウンドに似たエフェクト処理や変則チューニングなどと相まって、これまで誰も聴いたことのなかった響きを生み出した。

1988年11月、1stアルバム『Isn't Anything』をリリース。UKチャート最高位49位。

睡眠障害に悩まされていたケヴィンが、マリファナやエクスタシーを常用しながらほとんど催眠状態のまま、連日徹夜に及ぶ作業を繰り返すなど過酷な環境のなか、7,000ポンドという低予算、制作期間たった2ヶ月で完成させた。

1991年11月、2ndアルバム『Loveless』をリリース。UKチャート最高位29位。

アルバムがなかなか完成せず、制作費が25万ポンドまで膨らむとクリエイション・レコーズは財政難に。スタジオ代もろくに払えない状態になった。

プライベートでもトラブルの連続。『Loveless』制作中にケヴィンとビリンダは破局。ビリンダは元夫の度重なる暴力に怯え、パニック障害を患い催眠療法を受けていた。デビー(ベース)は長年連れ添った恋人と別れ、コルム(ドラム)は体調不良に加えてホームレス状態となり、まともにドラムが叩ける状態ではなかった。

そのような状況下で安スタジオをたらい回しにされた挙げ句、リリースに向けての執拗な催促を受け続けたケヴィンはアランへの不信感を日増しに募らせていった。

結局、ビリンダの声以外はほぼケヴィンによってレコーディングされた。

1992年10月、ツアーを終えたケヴィンはアランと決裂。クリエイション・レコードを去り、契約金50万ポンドでアイランド・レコードへ移籍した。

しかし、いつまで経っても音源を上げてこないバンドに痺れを切らしたレーベル側は出資をストップ。ケヴィンが自宅を改修してつくったスタジオの機材は売りに出されることになった。

やがて、ケヴィンはパラノイア状態に陥り、96年にはデビーとコルムが相次いでバンドを去っていく。

それでも97年まではビリンダと作業を続け、新曲もかなり出揃っていたのだが、結局は上手くいかず空中分解してしまう。解散。

2003年、ケヴィンはソフィア・コップラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』に5曲楽曲を提供。うち1曲はマイブラの「Sometimes」。

2007年、再結成。ライブ活動を再開。

2013年2月、22年ぶりの3rdアルバム『m b v』をリリース。




Ride(ライド)

My Bloody Valentine、Slowdiveと同じクリエイション・レコーズからデビューしたバンド。

1989年にスコットランドのスープ・ドラゴンズのライブの前座を務めたのをきっかけに、クリエイション・レコーズと契約。

1990年10月、1stアルバム『Nowhere』をリリース。UKチャート最高位11位。

1992年3月、2ndアルバム『Going Blank Again』をリリース。UKチャート最高位5位。シューゲイザー的な轟音の名残りを留めつつも60年代ロック志向に。

1994年6月、3rdアルバム『Carnival of Light』をリリース。UKチャート最高位5位。

1996年3月、4thアルバム『Tarantula』をリリース。当時流行していたブリットポップの影響を受けた作品。UKチャート最高位21位。4thアルバムのリリース前の1月に解散。解散後、ギタリストのアンディ・ベルはオアシスにベーシストとして加入。



Slowdive(スロウダイヴ)

My Bloody Valentine、Rideと同じクリエイション・レコーズからデビューしたバンド。

1991年9月、1stアルバム『Just for a Day』をリリース。UKチャート最高位32位。

1993年5月にリリースした2ndアルバム『Souvlaki』の2曲でブライアン・イーノを迎えてアンビエント・ミュージックへ急接近し、続くEP『5 EP』と『5』では打ち込み中心のアンビエント路線へと転換。

さらに1995年2月にリリースした3rdアルバム『Pygmalion』ではエレクトロに大きく志向を変えた。3rdアルバムのリリース後に解散。



Pale Saint(ペイル・セインツ)

1989年9月に英名門インディレーベル4ADからリリースした1st EP『Barging Into the Presence of God released』に収録されされた「Sight of You」がインディファンの間で評判になると、1990年2月に1stアルバム『The Comforts of Madness』をリリース。UKチャート最高位41位。

1992年3月、2ndアルバム『In Ribbons』をリリースするも、フロントマンのイアン・マスターズ脱退。


Lush(ラッシュ)

Pale Saintsと同じ時期に英名門インディレーベル4ADからデビューしたバンド。

ミキ・ベリーニ、エマ・アンダーソンの女性2人を中心に結成。初代ヴォーカルのメリエル・バーハムは脱退後、1990年にPale Saintsにギタリストとして加入。2代目のヴォーカルとなったのはミキ。

1989年10月、ミニアルバム『Scar』を4ADからリリース。

1992年1月にリリースした1stアルバム『Spooky』は、ドリームポップの先駆的バンドCocteau Twins(コクトーツインズ)のギタリスト、ロビン・ガスリーによってプロデュース。ドリームポップ寄りのサウンドとなった本作はUKチャート最高位7位を記録。

1996年3月に当時流行していたブリットポップに路線変更した3rdアルバム『Lovelife』をリリースしたが、同年10月にドラムのクリス・アクランドが自殺したことで活動休止、解散した。


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